チアリーディング

日本におけるチアリーダーは、アメリカンスポーツの応援シーンからの見よう見まねの模倣から入ってきたもので、女性がミニスカートを履いて応援に参加するものは、バトントワリングチームも含めて一緒くたにチアガールと呼んでいたが、バトントワリングチームとチアリーダーチームは全く性質が異なる別物。



幼稚園にチアリーダーが

 うぅ、だるい…
 昨日は、娘の幼稚園の日曜参観だった。カラダを引きずるようにして参加した。私立の学校のこのテのイベントは大層派手だと聞いているが、当方は公立の経験しかないのでどんなものかは想像もつかない。公立のつくるイベントはいたってシンプルで、不必要な装飾や時間のむだ遣いは一切無い。オレはこっちのほうが気に入っていて、そういう内容だというのが約束されているのでカラダを引きずってでもまだ参加する気になるのだ。
 幼稚舎の二階に体育館がある。室内運動場と言ったほうが近いか。そこで先生方の音頭に合わせて、疲れた父母も強制的にテメェの愚息娘たちとスキンシップできる場が展開される。お話にあわせて、馬になったり、高く抱き上げたり、擽りあったりするのだ。こっちは汗まみれで、笑顔をたやさず、他のご子息を褒め、明日の筋肉痛を思う、そういう時間である。しかし、園児たちがこのためにつくった人形劇を見せられたり、このために練習した歌を聞かされるよりはまだいい。
 実はこの室内運動場に入るまで、すっかり細かな内容を失念していた。漠然とそんなにイヤなものではなかったハズだ、と思って行ったのだ。三年前、愚息の同イベントに参加していた。ああ、これね、と思いだした。その時も今回と同じ「体を使ったお遊戯」がひと通りあって、最後に先生の一人が参加しているサークルの演技のご披露があって、おしまいだった。そのときは太鼓「ソイヤー」の演舞であった。園児たちは目をまるくして見入っていた。悪くない、と思った。ナマの太鼓の音と振動、日本の(沖縄だが)リズムを体感させるのは、テレビっ子たちには貴重な体験だ。
 さて、今回である。
 この公立幼稚園は、小学校に併設されている。来園したときに園庭の隅っこでぼんやりと開始を待っていたのだが、そのとき30人ぐらいの娘さんがたむろしていた。最近の小学生も高学年になると、けっこうオンナだな〜と、ニヤついて鑑賞していた。茶髪のコもいたが、あえて気にならなかったのは小学生である愚息の運動会では金髪の児童も走っていたからで、今日日の小学校では普通の事だと納得していたからである。
 休憩のあと、フロアに「運動座り」をさせられて、次の10分ほどのイベントの開始を待った。
 突然、静寂を破るように「ヒャー」「イャー」という甲高い娘の声とともにドタドタドタと駆ける「お肉」の集団が整列する。
 なんと!チアリーダーではないか!おっさんは驚いた。喜んだ。双眼鏡を忘れたことに舌打ちをした。しかし、観客席からサイドラインをみることを思うとウンと近い。触れるほど近い!
 彼女達は某保母育成系女子大のチアリーダーで、フットボールの応援活動とともにボランティアで幼稚園やその他のイベントでチアリーダーの啓蒙活動として出張演技しているのだそうだ。
 まず攻撃中の演技、TD時の演技、そしてタイムアウト時の演技を短いながら披露してくれた。園児たちが驚いたのは人間が高く空に打ち出される様子だったろう。そのしなやかさと若いバネは十分なインパクトを与えられる。しかも触れるぐらいの距離(スタンドからに比べて、だよ)で見れば。
 わたしも十数年前、国立競技場や横浜スタジアムにフットボール観戦に行った時期があった。その時来日していたスタンフォード大や米国IVYリーグの本場チアリーダーと日本の大学から参加していた国産チアリーダーの「差」たるものは、冬季五輪の「フィギュアスケート」の日本人と他国の「差」を大きく上まっていると感じたものだ。寒いスタンドでバーボンをチビりながら「出んといたらええのに…」とつぶやいていた。それは、「体」もさることながら、躍動感、リズム感、心から作り笑顔、の差だったと思う。あのヤンキーウーマンの表情と動きは、倭人には無理や。私たちの得意な「動き」は空手の「型部門」に象徴される、他民族の追従を許さないほどの独自の美意識と精神によって生み出される動きであり、もはや「組み手」では他国に勝てない。それは和製ミュージカルの舞台や和製ソウルミュージックのバックコーラスなんかにテキメンに表れていて、上手くやろうとリキむほど、ますます野暮くなる。
 そんなことを思いながら観ていたのだが、ところが、ナカナカ垢抜けているじゃないか!「つくり笑顔」もそう嫌みが感じられない。「躍動感」もマズマズぢゃないか。しかし、なにより「お肉のフレッシュさ!」に持っていかれた。…若い!!!おっさんは叫んだ。…もっと近くで!!…おっさんはうなだれた。彼女たちをスタンドから冷静に観ていれば、十数年前の感想は変わっていなかったかもしれない。しかしここんところの「若者」たちは、こういう部分では、この国の歴代「プレッシャーマン」たちが今まで持ちえなかったものを手中にしつつあるのかもしれん、と認めた。触れるほど近くだったから、が大きいかもしれないけんど。
 園児達はおやつの時間だ、親どもはそれが終わるのを待っている。家に連れて帰らなくてはならないからだ。オレも待っていると、先程のチアリーダーたちが着替えを終えて、一列に並んで歩いてきた。わたしは最初は小学生だと思ってたのだ…。見送った後ろ姿は、まさに、ケータイ番号を教えてもらうにやぶさかではない「おねえちゃん」のものであった。