フライトドリーム

永らく、空港ともパスポートともエアプレーンともごぶさただ。でもときどきこんな気持ちのよい体験にでくわすことがある。夢だけどね。



空を飛ぶ夢のはなし

 最近は、夢を見ることが少なくなった。実際はたぶん毎夜のように見ているのだろうけれど、目覚めてすぐに忘れてしまうようになったと云うのが正解なのだろうと思う。
 はたちくらいの頃は、夢の、あまりにも奇抜なストーリー展開に感激して、枕元にメモを用意していた。しかし、直後に書きとめることができたのは数回に過ぎなかった。
 そのうちに、メモをしている自分の姿まで、その夢の一部だったりするようになったり、メモの途中で再び眠ってしまったりしてどうも成果が芳しくないので、自然に止めてしまった。
 メモの動機は、あとで夢のストーリーを再現しようとしたときに、どうしても自分の都合や記憶の欠如で捏造する部分がでてしまうのだが、それがしょっぱくて嫌だったのだ。
 そんなわけで、わたしも人並みには夢に感心を持っていたほうだと思う。
 
 今までに見た夢の中で、とりわけ印象に残っているものに、『空を飛ぶ夢』がある。
 空を飛ぶ夢にも、いろいろなタイプのものがあったが、いま話すのは、単に自分が飛んでいる場面入り、というものではなくて、飛ぶために運転技術を必要とするものだ。
 この『空を飛ぶ夢』は通算3回ほど見た。
 住宅街のなかに道路があり、ほぼ真直ぐに走っていて、なだらかな坂道になっている。
 この道の起点が坂の頂点ちかくで、道に沿って穏やかな風が吹き上げてきている。
 そこにB5判の雑誌くらいの板を持って立ち、よい風が来るのを待つ。
 これ、と思う風が来たらそれに向かって駆け出しながら、胸の前に両手で持った板の角度を調節すると、からだが浮きあがるので、細かく風を捉えながら高度をあげ、あとはグライダーの要領で自由に飛べるという夢だ。
 まあ、ハンググライダーやモーターグライダーのシミュレーションといったような夢である。
 ところが、この飛行が、「超」付きのリアリテイがあるのだ。風の触感、温度、重力、スピードなどが皮膚にビンビン感じる。また、持っている板の操縦桿としてのレスポンス感触もリアルなのである。
 最近の業務用ビデオゲームやアミュ−ズメント施設などはどんどん進歩し、バーチャルリアリティ品質が高まってきたとはいうものの、この夢にはかなわない。
 ウイリアムギブスンの小説「ニューロマンサー」や映画「時計仕掛けのオレンジ」などで主人公が体験する仮想現実の世界とは、この夢のような感じなのだろうと思いたいようなリアリティなのである。(例にあげたものはどちらも「性的」仮想現実だから、ちょっと違うか)
 空を飛ぶ「道具」のちいさな板は、ふつうの平らな板で、翼断面(下面の長さより上面の長さが長い)はついていない。それに、住宅街の道路に電柱と電線がないのは、夢ならではの御愛嬌だが、一緒に飛んでいた友人たちのなかには、操縦や風の読みを過って墜落するものもいて、夢中、二人死んだ。
 五感に対する感触が非常にリアルな夢だけに、墜ちた時の痛みなどが容易に想像され、操縦にも一層の緊張感が増す。
 ともあれ、近未来SFに登場する仮想現実の世界は、この夢のレベルのシミュレーションなのだろう。ということは、この夢を故意に体験できるような技術を開発すれば、実現が可能になるということである。
 そうなれば大儲けなのだが、残念ながらここ10年以上この『空を飛ぶ夢』は訪れてくれない。それどころか最近は、一片の性夢さえ……
 こんな文章を書いたりすれば、すこしは夢を見ることが増えるかも知れないと願いつつ。

 私は稀にモノクロームの夢を見る(普通は総天然色)ことがあるけれど、生まれた時すでにカラーテレビやカラ−写真が標準になっていた世代の人たちは、白黒の夢を見ることがあるのだろうか?