新学期

義務教育がいつも右往左往していて落ち着かない。まあ、そのくらいデリケートに対応しなければならない問題ではあるのだが、ゆとり教育と言っていたのが、あわてて学力低下阻止に変わるなどは言語道断。この国の民主主義が成熟するのはいつなのか。2004.4.8記


三段階の通信簿に意味があるか

 新学期なんである。といってもウチの小うるさいガキどもが昼間小学校へ行ってくれるというだけで、おっさんのあたしにとっちゃ別に普段とかわりはしない。しかし何ですな、今日日の通信簿、見ても三段階のいずれかに○が付いているだけで、センセも加減が大変だろうと思う。特に中と下の割り振りね。評価基準のことは詳しく知らないけれど、甲乙丙の比率なんてのは2:7:1くらいに考えて付けないと、三つに分類するのなどとても出来ないと思って見てしまうのだが、違うのか? 親としてもそういう詮索をしてしまうが、とりあえず丙がなければまま良いのかと思ってしまう。これ、子どもたちにとってはずいぶんラクなんだろうなあ。

 ここんところ、新書の古本ばかり読んでいる。新刊文庫を購入してハズス経済的余裕がないからだ。新書を読んだのならば「文庫本コーナー」に何故書かないのかと怒られそうだけど、あまりにも私的興味の世界に振れすぎていて、とてもオススメのしようがないのであります。ジャンルとしては「江戸もの」「生き物もの」が多いかな、という感じ。最初に通信簿のことを書いたが、ぼやいているだけでなく、教えもせにゃならない。なんだか小学校の教科書は内容がドンドン簡単になってきているというのに、それにも増してこちらの脳細胞が猛速で死滅しているので、算数(幾何)の問題なんかを訊ねられると、パッと見「なんだ、こんなのが解らんのか」と言いつつ、「アレ〜?」となってしまうことが増えて参っている。

 理科や社会のジャンルならなんとかなろうと思うのだが、このへんはさらにカリキュラムの進みが遅いようで、今のところあまり訊かれることもない。しかし、こちらのほうも科学の進歩により、我々が習った事実というのが大きく覆されていることが多いので困る。「生き物もの」ジャンルは特に如実であるようで、遺伝や進化にかかわるかつての常識など、ほとんど怪しいものになってしまった。あたしたちが習った当時の「寒くなったから毛が生えた」みたいな推論が、昨今はみな「遺伝子の配列」てなもんで語られるようになったので、天地がひっくり返ってしまうのである。歴史は「新発見」がでればひっくり返るのが常だが、年代測定法の進歩や地球物理学や宇宙観測の精度が高まったことで、過去の常識への「?」がこれまた増大している。ま、戦意高揚ウソ教育の後弾き三味線もあり〜の、石器捏造オヤジなんてのもで〜の、しているけれど。

「ヒト」のことをバカにも解りやすいように書いてある「バカの壁」

 最近の研究報告を新書で読んでいると、「なるほど」と思う反面、「今更そりゃないよ」と思う場面にも良く出会う。しかし研究者でもないこちらには自分で真実を探求するすべがない。となると、正しいことを知っていると他人に言う気にもなれず、ぼんやりしてしまう。最新の知識・情報を増やせば増やすほど、誰かに訊ねられたとき「正しくは知らない」という説明をするのに膨大な時間を要してしまう。これが頗る面倒なので、全然「知らない」ことにしてしまっているあたしがいる。この「知らない」態度を続ければ続けるほど、どんどんあたしのバカが進んで行く気がするが、これバカりはどうしようもない。

 あ、遅ればせながら養老先生の新書「バカの壁」、誰が買ってきたのか、たまたま家にあったので読んだ。「ヒト」のことをバカにも解りやすいように書いてある本だが、先生の数ある旧著の中で特に抜きでた名著であるとは思えない。そんな「バカの壁」なのに異常にバカ売れするように焚き付けた、もしくは気にならせたモノは何なのか…日本人がみんなバカであることの「バカの証明」だと思った。