みずほの富

宝くじといえば、一昔前は「第一勧業銀行」の代名詞みたいになっていたけれど、その後月日は流れ「さくら銀行」時代を経て、現在は「みずほ銀行」の管轄だ。宝くじもロト6、ミニロト、ナンバーズやスクラッチなどバリエーションが多種豊富になってきて、ますますややこしくなってきている。

三等は一千万円400本、どう買う?サマージャンボ宝くじ

 子ェのォ〜千三百六十五番ン〜辰ゥの〜九百… 「高津の富」は好きな噺のひとつなのだが、落語はさておき、宝クジである。こうも収入が減退の一途を辿ってしまうと、一発巻き返しを狙わないわけにゆかず、かといってギャンブルは、永年の経験から全くそのスジの運や技量を兼ね備えていないことがハッキリしたので、手を出さないことにして久しい。若いころかなり入れ込んだパチンコも、今や玉の買い方すら要領を得ないようになってしまった。手前の作為が反映できない宝クジは、ギャンブルではないし、まあ「自治」を謳っているのだから、投げ銭、賽銭のようなものと捉えている。世の中にはそうは捉えない人もたくさんおられると見え、「必勝法」や「こうして儲けた」のたぐいの書籍なども売れているようだが、そんなものを購入する金があれば、その分買うクジの枚数を増やしたほうが道理だと考えている。

 しかし、宝クジもなかなかの高額な紙っぺらであって、今月の淋しい収入予定がハッキリしていて、コーヒー一杯の寛ぎも「いかんいかん今はいかん」と戒め、我慢して喫茶店を通りすぎているような折に、宝くじコーナーの前に立ち止ってしまうのは、あの「射幸心」を煽りまくるフザケタ広告の所為でもある。「3億円!」と大書してあるのが普通であるが、何もこちらは真顔で「3億円!」を当てにしているのではない。一千万…う〜んもとい百万円が、今のいま必要なのである。一等前後賞「3億円!」はどこかの幸運な人に当たれば良いから、こちらにはなんとか百万くらい都合して貰えまいか…と買うわけである。「サマージャンボ」の場合、一等前後賞3億円120本、二等は一億円80本だが、次の三等は一千万円400本なのである。むかしは三等はぐっと金額が下がって、百万円が20本くらいだったので、あまり射幸心を刺激されなかった。最近はこの中盤の層が厚くなって来たところがミソである。関西私鉄の特急が中間衛星都市に停車するようになったサービスに近いような感じか。


ロト6攻略法

地方版自治「近畿100円宝くじ」、千円が二回連続当籤!

 季節の「ジャンボ」は菩提寺への布施のようなつもりで買っているけれど、あたしの本流は一枚百円の地方宝くじを10枚である。しかしこれにしてもある例をあげると、一等一千万2本の次は二等五十万で、なんと2本ぽっち。三等十万すら75本しか当たらない。ずっと買い続けて、十万当たる巡り合わせが回ってきても、そのときゃ10万以上投資しているのが普通だわな。最近はスクラッチなどというその場で当たりを確認できるタイプが人気のようで、こちらは一等百万が4〜 50本なので、あたしも一二度買ってみたが、どうしても「その場」で確認する気になれない。やはり一度家に持ち帰り、うやうやしく神棚に(無いが)供えた後、「エッ、アン(by東海林さだお)」と合掌しないわけにはゆかないでしょうが。気持ち的に。なけなしの金を払って購入するのであるから、外れるにせよそれなりの気持ち的「元」を取りたいではないか。その間の時間の流れを味わい愉しむ、というのが人に与えられた情緒というものではないのか。どうも味気ないのでスクラッチは買わぬことにした。

 それでも、最近「近畿くじ」で千円が二回当たった。でも調べてもらうときに、この調子で次こそは!と新たに10枚買うから、手元に残るのは末等の「ひゃくえん」一枚キリである。その百円玉をじっと見つめていると、「あかん、仕事せなアカン」という気にはさせてくれる。仕事をしないと、次の10枚が買えぬではないか。一獲千金狙いなんて言うけれど、この購入代金にも血と汗と涙が染み込んでいるのである。「高津の富」で、「いち」と「しち」を聞き間違えて卒倒する場面があるが、売り場の機械で調べるのであるから、そういう間違いもまああるまい。一度、ぜひ卒倒してみたいものである。

 うだうだ言ってはいるものの、とにかく当たりゃ許すんだ。許すよ。あ、言葉が悪いですね。ええと、お願いします。保険証持参でみずほ様に伺えるように便宜を図っていただければ、宣伝に啓蒙に全面協力するにやぶさかではありません。あるんでしょ?売れ残りの当たり券って、ねえ。


億万長者続出の行列のできる有名売場からジャンボ宝くじを自宅へお届け!