チビ、カメラ、眼鏡

経済や文化の面で、見かけ上は欧米並に先進国の仲間に入れてもらったせいか、以前揶揄されていた時ほど気にはならなくなった言葉だ。もはや見かけなどどうでもよし、それより中身だよ、という余裕のあらわれか。それとも、もはやどうにでもなれ、という諦観ゆえか。

外国人コンプレックスとチビ、カメラ、眼鏡。悩みの本質は解消されたのか?

 ふた昔ほどまえは、日本人といえば、「チビ、カメラ、眼鏡」なんて特徴で揶揄されていたみたいだけれど、今はどうなんだ? 当時の出自をはっきりとは憶えていないが、海外のマスコミが言いだしたようにはどうも思えない。まあ、日本のマスコミが話題を盛り上げるために、自らを貶めて表現したと想像したほうが自然である。日本人というのは、自分一人がこう思われているのではないかとビクビクするよりは、たとえ屈辱的なことでも、全体として括られてしまったほうが安心する傾向がある。また、自分は例外であると勝手に納得して、堂々とできたりもする。ヘンな性格である。マスコミも、このあたりを本能的に知っていて、下らないことをあえて祭りあげたりするものだからタチが悪い。そうして話題になった概念やことばは、大した抵抗もなく定着してしまう。情けない国民性である。

 身長に関しては、生活と食物の西洋化やなんやで、ずいぶん伸びてきているようだが、欧米と肩を並べたとはまだまだ言えない。若者もひょろりと高いだけで、腕っぷし、パワーが伴っていない。格闘技やプロ野球の助っ人をみれば一目瞭然である。身長は同等でもパンチ、キックの破壊力には絶対的な差が感じられるし、野球でも、カブレラ、ラミレス、ウッズなんて打球の勢いが全然違う。背の低い外国人選手にしても、イザ当たれば打球はヒューンと飛んでゆくではないか。先に地力が付いてから、身長に反映されるほうが理想なんだが。体力は低下して背だけ伸びているというのはお粗末な話。パワーのあるチビのほうがまだ良かったんじゃないか。日本女性も昨今はスタイルが良くなったというけれど、街やプールなどで見かける、オッ!と思うようなスタイルの和製美女って、何となく画像処理で「変形」をかけてあるような感じがする。どこかヘンなのである。理想のプロポーションがどういうものなのかが良くわからないが、そういう女性たちって、かなりの努力と投資をしているものなのだろうか? それとも最近は生まれつき?

どうやらカメラは「ケータイ」に変わったようで…

 カメラは「ケータイ」に変わったかも。でも、ふた昔前の香港ではすでに、「チビ、移動電話、眼鏡」だったような気がする。こちらのほうが断然合理的である。カメラ。素人が観光地に重たいこれをぶら下げて行ったというのは、結局は帰宅してから家族や他人に自慢するためだろう。または、自然に対する感動など、もはや感じなくなった鈍感な自分を誤魔化すために持参し、シャッターを切って始めて納得する。何のために旅をしているのかよく解らないけれど、とりあえず旅をしてきたことを自他共に正当化するための道具。いわゆる「元取り」の道具だったのである。情緒豊かだった?日本人にとっては、無理な西洋化思想が作りだした意味のない行為ではなかったか。もし江戸時代の旅人にカメラを渡しても、自分の目で見て感動したほうが全然良いと言うのではないか。たいへんな歩き旅だったから、旅の荷物からすぐハネられてしまったように思う。ま、商売にしようと考えた場合は別だが。

 視力が弱けりゃ眼鏡をかけなきゃ危なくて仕方がないが、最近はコンタクトレンズの進化で、以前ほど目立たなくなったか。ご先祖が狩猟を生業としていたかどうかで、視力に関する本質的なものが違うなんて説もあるが、日本人は手先が器用だと言われてきたし、手先が器用と言うことは、細いことに拘って細工してしまうということだから、自然、目を酷使する事になる。そのせいじゃないのか。あたしも学生時代は全く問題なかったのに、版下などの仕事をしだしたらイッキに悪くなってしまったもの。メガネは顔のアクセサリーだと考えれば悲観することもないモノだと思うが、アクセサリーなら常に清潔で美しくなければならない。しかし、常にレンズが美しい状態でいられる人なんているのか? たまにそういう人に出会うと、いったいどうしてそのクリアな状態を維持しているのか不思議でたまらない。あたしなんぞ、拭いたってすぐに脂で曇ってしまう。この脂、専用の液剤や布で必死で拭いても、そう簡単には取れないのである。洗剤などを付けてジャージャー水洗いしても残る。そうしてキレイにしても、一時間も掛けたらまた曇ってくる。あたしの顔の脂の分泌量が尋常でないのか。鼻が低すぎて、レンズと皮膚の距離が近すぎるのか。何で?