高所恐怖症について

不安障害である高所恐怖症、閉所恐怖症、先端恐怖症などは、なんとも感じないヒトには冗談のように思われたりするが、本人にとっては大事のれっきとした病気だ。ほかにも、対人恐怖症、暗所恐怖症、虫恐怖症、飛行機恐怖症などがある。高所恐怖症では「くまのプーさん」のティガーが有名。往年のテレビ時代劇「素浪人・月影兵庫」の兵庫はネコ恐怖症、焼津の半次はクモ恐怖症だったなあ確か。

見下ろせば、高い所がダメになっている自分に気づいた…

都庁にて

 三十歳くらいの頃からだと思うのだけれど、突然「高いところ」が駄目な気配が現われてきた。それまでは別に何ともなかった、というよりかえって強かったくらいであって、仲間たちとその手の場所を訪れたときなどは、ギリギリの縁まで進んでいって片脚立ちをしてみせたりして顰蹙を買っていたくらいなのだ。ジェットコースターのたぐいも、一番怖いとされるものに進んで乗ろうとしたし、吊り橋や、山の「馬の背」のようなところを歩くのも大好きだった。まあ、突然「高いところ」が駄目になったのではなく、気づいたら駄目になってしまっていたと言うほうが正しいのであろうが、何故そうなったのかはサッパリわからなかった。

 ものの本によれば、加齢により高所恐怖を感じるようになるのは、家庭を持ち子どもも育てるようになると、責任感などから、自分の身を護らねばならないという意識が生じ、危険な状況を回避しようとするからだ、などとあるが、あたしの場合にはどうも当てはまっている気がしない。あたしが所帯を持つ羽目になったのは三十も中場の頃であるし、高所に対する違和感はもっと前から訪れだして来たからだ。ただ、三十歳を少し越えたころ、久々にジェットコースターに乗る機会ができ、喜び勇んで一番前に陣取り、いつものようにワーキャーと愉しみつつ周回を終え、「なんだ短くて物足りないな」などと愚痴りながら降着場に降りたとたん、急に膝が震えだし心臓が激しく動悸しだして、その場にへたり込んでしまったことがある。たまたま体調や三半規管が不良だったのかもしれないが、たぶんこの時の不可解な体の反応の記憶が、その後の高所恐怖の引き金になっているのかもしれない。この時以来、あれほど好きだったジェットコースターに乗っていないし。

でも、今も高所に上がるのは大好き。

 しかし純粋な「高所」と、こういう遊具はちと違う。現在でも「高いところ」に上がるのはめっぽう好きなのである。また観覧車なども平気なので、この膝ガタ動悸ドックン症候はコースター系限定の反応なのかもしれないのだが、最近、もっと厄介な別口の「恐怖」におののかされるようになっているのに気がついた。先日も「梅田スカイビル」の展望台に登ったし、この春には「東京都庁」の展望室にも行って来た。そこから思いっきり真下を見ても別にどってことなく、恐怖も感じないのだけれど、一息ついた後、たまたま「落ちる」ということをイメージしたときに、ググググ…っと恐怖感が沸き上がってくるのに気づいてしまったのである。

 その恐怖というのはイメージであって、映像のように脳裏に再生されるものなのだが、体が高所から落下していて、あと数秒で地面に激突するであろうという場面から始まり、激突数センチ手前のところで終わる。スピード感や重力や風の具合などが非常にリアルだからタチが悪い。そのとき訪れている特定の場所のロケーションではなく任意のイメージなのだが、これがひとたび脳内で再生されてしまうと、あとに、割れたスイカのように飛び散る脳漿と強烈な痛みを想像する「正気の時間」がやってくるのである。これがたまらなく嫌な感じなのだ。だから、どんな高所にいてもこのイメージさえ再生されなければ、全く「恐怖」を感じることはない。反面、たかだか2m程度の高さにいても、これが再生されてしまえば最悪なのである。寛いでコーヒーを喫したり、床についたりしているときでも、再生されてしまうとイキナリ「高所恐怖」感に陥り、下腹部がキュン!となり、気分が悪くなってしまうのだ。だから「高いところ」が駄目、というのは正しい表現ではなく、「高いところは落ちるイメージ再生のキッカケになりやすい」から駄目、というのが本当のところらしい。もう!何もおっさんになってから、こんなガキみたいなことに呪縛されんでも…。

 しかしヒトというのは、永いことやっているうちに突然、面倒な妄想を勝手に描くようになったりして、なんと厄介なイキモノかとつくづく思う今日この頃デス。