チャールズ・ブロンソンといえば、なんたって「レッド・サン」だ!

 この人、最初の頃の役は、たしかB級西部劇あたりの先住民側が多かったんじゃないかと思うが、60年代に入って「荒野の七人」「大脱走」なんかに出演してブレイクしたんだったよな。あたしはガキだったけれど、二枚目スタア全盛のころだったから、背もさほど高くないし渋いけれど親しみやすい感じに好感を持ったのは確かだな。「町内の気前の良い職人のニイチャン」なんてイメージで観てた。ガイジンだけど。ニイチャンと言ったって当時50歳を超えていたんだから、すでにジジイだったんだけれど、そうは見えなかったね。当時から偏屈のケがあったもんで、「大脱走」では、ミーハーと一線を置くために、マックイーンを透かして観ていたし。でも、穴掘りのブロンソンには行かずに、自転車で逃げ切ったコバーンの方を支持していたんだったけか。

 「雨の訪問者」や、ドロンと共演した「さらば友よ」なんて作品には、あたしはあまり興味を示さなかった。ブロンソン出演作品では、なんといっても、日仏米三国眉唾スタア豪華共演の大B級映画「レッド・サン」がご贔屓だったね。焚火野宿のシーンで、サムライのミフネが五月蝿い虫を居合斬りするのを見て、ブロンソンが感心するシーンの演技が一番印象に残っている。まったく自分の偏屈ぶりが情けないけれど。しかしまあ、二枚目ヤサ男のアラン・ドロンが、今で言うベッカム様みたいにチヤホヤされていた時だから、世の醜男たちは、どうも面白くなかったもんだ。今ならドロンなんて、かえってギャグの対象になるようなキャラなんだが、当時の女どもは手放しでワーキャー支持したもんな。その反動が男連中のブロンソン支持に繋がったんだと思う。


マンダムな男の世界〜m9( ゚Д゚)

 そこで、「う〜ん、マンダム」というわけだ。当時あたしは、まだヒゲすら生えない産毛野郎だったんだけど、友だちの中には毛深系の輩もいて、我が意を得たりとアゴに手を当てていたもんな。ドロンはとんでもないけれど、ブロンソンなら手が届く気になったんだろね。あのテの四角い顔で「濃い」系の日本人は、そこそこいるから。Gパンでむさ苦しい格好していても、なんとかトレンドの仲間入りができる感じがあった。「男臭さ」をウリにするという。まあ、ブロンソンまでのバタ臭さは無理にしても、中村雅俊あたりの路線にすり替えるわけだ。

 思いだすに、当時の男性化粧品といえば黒と銀の市松模様の「MG5」が独走していた。あとは「チック」「ポマード」の世界だったから、そっちのイメージが強かった「丹頂」が、マンダムというブランドを作って、ブロンソンで勝負を掛けたのは成功だったね。しかしあの頃の香料って強烈に臭かったなあ。仕方なしに使ったが、ちょっと参ったよ。「う〜ん、マンダム」はたしか大林宣彦さんの作だったと思うけれど、今から思えば世相が単純で売りやすい時代だった。その後、参入が相次ぎ、男性化粧品の販売競争が激化したわけだけれど。考えてみれば、あの広告が日本においては、のちの「マールボロ」「ラッキーストライク」などのダンディータバコ広告路線の先駆けになったのかな。今はあまり観られなくなってしまったけれど。

 う〜ん、良い時代だった…のか?


う〜ん、ブロンソン

2003年8月30日に俳優のチャールズ・ブロンソンが亡くなったときの蒸し返し。なにせ昔のスタアだし、この人のことは「みうら」さんにでもお任せしとけば良いのだが、押し入れの奥をひっくり返しゃ当時の「丹頂」の広告が掲載された雑誌なんかも出てくるはずだし、何となく寝覚めも悪いので、やっぱりちょっと触れておこうかと。