蒸気機関車と鉄道趣味

室蘭本線D51
▲北海道・室蘭本線沼ノ端付近にて D51852と管理人(1974)

 先日、数ヶ月ぶりに「蒸気機関車と鉄道趣味」を更新した。この「旅の遺跡」のコーナー、当サイトの居並ぶ不人気コンテンツのなかでも一二を争う不人気ぶりなのだが、今後も細々と続けてゆくつもりなのである。鉄道趣味というにはあまりにも浅く、資料的価値も乏しい内容なので、不人気もいたしかたないところだが、この更新、あたし個人にとっては、ほんの少しのメリットが生じるのである。

 そもそもは、撮るには撮ったが、いまだ一度もプリント画像としてまともに見たことのないポジやネガが、あたしの手元に多数存在していて、更新を口実にそれらの写真を画像として再見してみることが、このコーナーを作った理由なのである。撮影旅行に出かけたのが1970(昭和45)年から1975(同50)年くらいまで。小学校六年から高校一年くらいまでの期間であり、これは国鉄の線路を現役の蒸気機関車が走っていた最末期にあたる。アルバイトもままならない中学生が、小遣いをやりくりし寝袋を下げて日本全国を旅したのであるから、経済的な余裕というものがまったくなかった。

 どんな旅をしていたかというと、当時発売されていた「ワイド周遊券」なるキップを学割で購入し、大判の時刻表と鉄道ダイヤ情報をもとに周遊券の期日いっぱいの旅程を決め、追加料金なしで乗れた普通・急行自由席のみを使用しての超緊縮旅行である。たとえば北海道だと、行き帰りは大阪発青森行きの急行「きたぐに」の自由席を利用した。夜、大阪駅を発つと、夜明けが直江津あたり、お昼が新潟で、夜青森に到着する。青函連絡船3時間余りで函館に到着すると、夜行の札幌行き急行「すずらん」に乗り継ぎ、朝札幌着。札幌周辺(夕張方面など)を撮影し、夕方札幌に戻り稚内行き夜行急行列車「利尻」で眠り、朝稚内着。道北を撮影すると、また夜行で眠り札幌へ、その夜は網走行き夜行「大雪」で眠り、次の夜はまた札幌行き。今度は釧路方面行き夜行「狩勝」、と、ようするに「宿」を利用するお金などは持ちあわせていないので全部「車中泊」なのである。この車中泊も寝台ではないので連続するとさすがに疲れる。なので夏場だと時折は駅舎の軒下などで野宿した。朝はアンパンに駅売店の四つ葉牛乳。昼も菓子類で誤魔化し、夜のみ定食屋で玉子丼などを食べていた。これを二十日間。アルミのカメラバッグと衣類などの装備を担ぎ、五万分の一地形図片手に、勾配のきつい駅間6〜12kmを毎日歩いていたのだから、我ながらその若さには驚くしかない。

未プリントのネガが山と残り、そのまま30年が過ぎた

室蘭本線D51
▲北海道・室蘭本線 栗山〜栗丘(1974)

 そういう旅だったので、フイルムも極めて貴重であった。今から思えば、当時の日本、それも蒸機が残っているような鄙びたところばかり回っていたのだから、町村や駅周辺の様子や人びとの暮らしにもっとシャッターを切るべきだった。しかし主目的以外にフイルムを浪費するなどもってのほかだった。今思うと撮らなかったのがつくづく痛い。旅費を使い果たして家に戻ってくると、もはやからっ欠である。モノクロは自分で暗室処理、カラーはネガもリバーサルもラボに出し、なんとか現像だけはしたが、とてもプリントまではできなかった。特に当時のカラープリントは今と比較すると驚くほど高価だったのだ。そして日に日に蒸気機関車は廃止されて行く状況では、プリントよりも次の旅が急がれた。こういう繰り返しのあげく、未プリントのネガだけが山と残り、あたふたと社会に出てそのまま30年が過ぎたわけである。仮に撮影当時から逆に30年を遡ってみると、なんとまだ戦争中ということになる。あれからそれほどの時間が経ってしまったということだ。まさにひと昔前と言えよう。30年経過したネガやポジはかなり劣化しているが、今それをスキャナにかけ、パソコン上で初めて当時の成果にご対面しているというわけだ。

 当時の若さゆえ、なしえた事ではあるのだけれど、やはり「ガキ」のアタマであったことは致し方ない。撮影したものを見てみると、「芸術性」も「資料性」も乏しい。ただやみくもに「汽車ポッポ」を写しているだけだ。当時は「SLブーム」の最盛期でもあったわけで、名所と呼ばれるような撮影地では、他のファンの姿をファインダーから排除するのが困難なほどの人出。それも、機材やテクニックに秀でた「オトナ」のファンが多数同時にシャッターを切っていたわけだから、「ガキ」であった私の作品の価値はほとんどない。しかしまあ、30年の時の流れは重い。当時オトナだったファンでも、今こうしてサイトに掲載できるヒマ人もそうそうはいないであろう。そんなことを考えながら、色褪せたホコリだらけのネガ画像を、延々粛々とレタッチ作業して掲載しているのである。

 蒸気機関車が全廃されたのを契機にマニヤを止めてしまった形になったうえ、当時の記憶もほとんどどこかへ飛んでしまった。ただ当時の撮影データやメモが実家のどこかに残存しているはずで、その資料を手元において、状況のコメントや列車番号・ダイヤ等を記述すれば、もう少しは読んで愉しく、資料的にもマニヤのお役に立てるコンテンツにできるとは思うのだが。しかし現状ではそれら資料の探索が困難なので、せめてものお茶濁しにと今回の更新から簡単なコメントを付け加えることにした次第。なお最近の更新では多少重めの「組写真」の構成にしているが、これはブロードバンドが普及したからで、今後はこのかたちで掲載してゆこうと考えている。まだ未見のネガが多数残ってはいるが、さて、どこまで掲載できることか…。この鈍牛更新ペースから察するに、全部載せるまでには他界していると思う、たぶん。(本編 → ぼやテツ蒸気機関車と鉄道趣味


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鉄道趣味について

2004年7月16日のトップページコラム「ぼやコラ」ログより転記。「蒸気機関車と鉄道趣味」と「旅の遺跡」は開設当時同一コンテンツだった。のちに現在の〈 part1:蒸気機関車と鉄道趣味〉と〈 part2:旅の写真・スケッチ・雑文〉に分けた。
文中の「今回の更新」とは室蘭本線(栗山〜栗丘間)のD51・C57形(1974.3.23〜24)のこと。鉄ジャンルは基本的に国鉄形蒸気機関車の走行叙景写真撮影が中心。スタンプ硬券サボその他のコレクションほんの少々有。鉄道模型はブリキ3線式Oゲージを皮切に16番と9mmを微少々。いまだサイトに載せる余裕生じず。鉄分欠乏気味。

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