故障について

フトコロが淋しいときに限って調子が悪くなる電化製品。あわてて保証書を見ると、ちゃっかり期限を越えていやがる。そんでもって一台がおかしくなると、必ずと言って良いほどドタバタドタと連鎖する。まるで旅客機の墜落事故のように。ったくこの野郎!

故障の原因はおおむね「IC回路」、修理はおおかたが「基盤まるごと交換」。

 技術の進歩の恩恵で、確かに身の回りは便利になった。それらが産みだした製品のおかげで、ヒトの「自分の時間」は確実に増えたと言っていいはずだが、その増えた時間を有効に使えているかというと、どうも怪しい。しかしまこれは使う人間側の「志」ひとつでどうにもなることだから、あえて言わずに、素直に技術の進歩に感謝しておくことにしよう。

 その「技術」だが、ICやなんやの小型化と大量生産コストダウンによって、恩恵がなんとか貧乏人の手元までも届くようになり、価格破壊なんぞが追い討ちをかけてくれたおかげで、あたしなんぞでも、その技術の進歩のありがたみの末端を感じられているわけだが、ちょっと待て、と言いたいことがある。

 故障である。この一年あまりの間に、不機嫌になりまたはウンともスンとも言わなくなった、わが家の電化製品はエアコン、テレビ、パソコン、ビデオ、プレステ2、電子レンジ、パソコンモニタそしてデジカメと、立て続けに、しかも財布の心もとない時を狙い撃ちするようにコケた。そのうちのテレビとパソコンモニタは永年酷使したあげくのプチン、ッー…だったから、その生涯を全うしての大往生と認められるので許すのであるが、その他のものは、何れも不可解な突然の不調であり、その原因が「IC回路」だと判定され、そんでもって修理は「まるごと交換」であった。これに納得が行かないのである。

見積り金額が、工賃と部品代をあわせて一万円を下回ることはまずない。

 故障製品を電気屋に持っていくと、もはや左手に懐中電灯右手にねじ回しのオヤジが顔を突っ込んでゴソゴソやることはなく、預かり金なるものの伝票を切って、品物をメーカーに送るのみである。そんでもって数日後、修理見積り料金なるものの電話連絡があり、金額を了承すれば修理開始。直った製品が店に届けられ、修理代と引換に製品を受け取る段取りとなるのだが、その修理見積り時の修理内容は、ほとんどすべてが「基盤の交換」なのである。そして、そうしたときの見積りの金額は、工賃と部品代を合わせると、絶対と言っていいほど一万円を下回ることがない。部品の値段が安くても、だ。

 前述した「ICやなんやの小型化」に基づいた製品は、故障すると、そのものを交換してしまうしか手だてが無いのはわからでもない。実際は修理しようと思えばできるのであろうが、高くなった工賃と安くなった部品の価格差を考えると、故障箇所を調べたうえ人の手で直してなどアホラシクてやっていられないということなのだろう。大方はたぶん基盤のどの部分がおかしくなったかすら調べないで、とりあえず新品と交換し、動作確認をして、動けば完了!なのであろうと勘ぐっている。そして故障の原因になったと思われる「基盤」はジャンク箱にポイ、で終わりだ。あえて、「左手に懐中電灯右手にねじ回しのオヤジに顔を突っ込んでゴソゴソやらせてみてくれ!」などと注文をつけると、新品が数台買えるくらいの修理代を請求されるご時世なのである。これはまあ仕方あんめ、としておこう。

 しかし、あたしが解せないのは、こういう「基盤の交換」がほとんどであるにも関わらず、「工賃」は請求にキチンと載っており、その金額は「左手に懐中電灯右手にねじ回しのオヤジが顔を突っ込んでゴソゴソ」やっていた当時とさほど変わってはいない。部品が驚くほど安くなっているのに、小さな故障の修理代でも一万円を下回ることがないのは、工賃とも言えぬ「交換手数料」の最低料金を、高め一律に据え置いているからにほかならない。これでは丸儲けではないか。この修理代金の設定のせいで、「修理しても新品を買い直しても、さほど金額が変わらない」という、まったくもって資源というものをバカにした現象が起きてしまうのである。各メーカーには、「基盤の交換」による修理の場合は「工賃」を廃し、部品代のみの請求に改善せよ!と強く求めるものである。そんでもってこれを改善しないメーカーのISOはただちに剥奪すべきである。無理ならば、今修理を終え電気屋まで戻って来ているあたしのデジカメにだけ、とりあえずということで適用してもらえまいか。