三丁目の夕日

その時代を体験していない若い監督がVFXで再現した昭和30年代の東京と当時の人々の人間らしさが話題になり,大ヒットした。原作は西岸良平のマンガ。2005.12.23記

セットや小道具を汚し杉。嫁が一心に掃除する家や往来は古びてても奇麗だよ。

 22日、今冬初めて大阪にも纏まった雪が降った。寒い。寒いし前夜もあまり寝ていない。しかしそこは偏屈。こんな日の朝一を選んで映画を見に行ったりするのであった。翌日からはクリスマス三連休、学校も冬休みであるからして街へ出ると疲れるに決まっている。雪で滑らないように気をつけながら、眼鏡を曇らせて梅田へ出た。掲示板で赤海鼠さんに薦められていた邦画、「ALWAYS 三丁目の夕日」を、やっとこさ見ようという気になったのだ。まあ、今頃感想を書いても、もはや語り尽くされた後だろうと思うが、折角久々に劇場に足を運んだこったし、ちょこっと書いとこうかと。


 評判の映画だし、事前にある程度の情報は入ってきていたから、その「質」の検証に行ったような感じが強いが、当サイトでも「レトロもん」のコーナーを開設しているように、あたしの「筋」の映画である。そのうえ、人情ものだ、つうのでは、おっさんになってことに涙腺が緩んでいるのであるからして、泪ぼろぼろになるのは覚悟のうえである。流行り言葉で言えば「想定内」である。なもんで舘落ちの雪の平日、朝一上映を選んだのだが、あんのじょう観客は20人くらいだったろうか。劇場の座席横一列にポツリポツリと2〜3人である。泣いて良いのである。恥ずかしけりゃ泪をガマンすりゃいいのである。しかして悔しいが想定の通りになった。


 時期を外しているので今更ストーリーは語らない。良い映画だと思った。続編もできるものなら見たい。しかし当欄は「ぼやコラ」だからして、いちゃもんを付けなきゃならぬのである。ぼやかにゃならん。そういうふうに見ると、ぼやくところはヤマほどあるのであった。もっともあたしも昭和33年の生まれ。生まれ月で言うと、東京タワーより半年お兄さんなのであるが、こちらは人間、まだ物心などついちゃあいない。しかも京都市生まれ。昭和33年の港区虎ノ門あたりの考証や指摘はできない。でもね、偉いもんで、違和感というのはピピン、っと来るんですよすぐに。


 いきなり思ったのは、セットや小道具の汚しすぎ。虎ノ門三丁目あたりは13年前の20年5月24日と25日の第三次東京大空襲でおおかた焼けちまったように思うのだが…だとすると、築13年以下の家屋・店舗にしてはウエザリングしすぎの気が。よしんば焼けていない設定であったとしても、当時の嫁はセッセと掃除せにゃならんことを自分の仕事、宿命として認識していたから(ああ良い時代だ)、もうちっと綺麗であったはずだ。ウチの実家は京都だから空襲で焼けてはいないが、さすがに古びてはいるものの、おかんの奮闘のおかげであたしの生まれた頃も今もさほど変わってはいない。

キャストの体格が大き杉。当時の町並みや室内とのスケール感がちとおかしい。

 で、あの小雪の呑み屋はイカン。いくら貸店とはいえ、ハイカラに見せる努力はしても、わざと古びた感じのままにしておく訳が無かろう。今の方があるぞあのテの店。拓郎かなんか流してね。で、あのキャラならツマミは出さんだろうと。酒と乾きもの主体にスペシャル二、三品が自然。あの衣装ヘアスタイルで土産のヤキトリなんか焼くわけがない。頭ベトベトになっちまうし。呑んでないねカントク。


 鈴木オートの愛車ミゼットにしても初代発売が前年の 32年なのに、当時タカラモノのクルマが1年落ちであんなになっちまうかね。クルマ屋のクルマだし、ヨメの薬師丸も雑巾で拭き倒すだろうからピッカピカのハズだが。と、ぼやくのである。しかしまあ、医者の家の室内は程良い感じを出していた。


 「酒場」にも書いたが、現代人はデカいのであるからして、あの原寸セットの中の役者がデカすぎて、当時の町並みや室内とのスケール感がおかしいのである。いわゆる圧迫感があるのである。通りをゆく人々や上野駅の雑踏のエキストラも、おしなべて人間がデカイ。これにすごく違和を感じた。大人の役者は当時の古着の寸法のままで着られる人をキャスティングするべきだったと思う。小雪にいたっては当時あんなすらっとした手足が長く背の高い女は金輪際おらん。6年後の東洋の魔女のメンバーを見よ。映画では、周りの人間も体格がいいもんでさほど目立たなかったが、それこそG馬場や男女ノ川がイキナリ町内を歩いてくるようなもので、人だかりになるって。役者には野川由美子みたいなイイ女や寅さんのタコ社長みたいなカラダの男をたくさん探さにゃあイカン。


 飯炊き・調理・風呂沸かし・便所なども、逃げられた、という感じだ。ある意味、一番時代感が出しやすい素材だと思うのだが。料理はカレーライスの完成品が出ただけだし。あれならレンジでチンしたみたいである。でもまあ、懐かしくて愉しい映画だった。観ながら思いだされたことも多い。確かに、あたしのモノゴコロついた頃、家の前は地道だったし、氷屋もリヤカーで冷蔵庫に入れに来ていたなあ。ただウチの場合、貧乏なくせに34年時点でコロナと東芝と2台ものテレビがあったのは何故なんだ(あたしの誕生写真アルバムに依ると)。そのくせ電気冷蔵庫が来たのはその数年後がやっとでメシも永らくへっついで炊いていたが…テレビだけで見栄を張る作戦だったのか。


 でも、あの頃は良かった、あの日に帰りたい、なんて言う気は毛頭ない。おかんに映画を見せたら即「あ〜、便利な時代になって良かったわ〜」と言うに違いないんだ。あたしだって、ああティッシュはないのか、と思うだけでうんざりするもの。