焚火に想うこと

焚火と環境の問題も、深く考察しだすと、結局はエゴの泥仕合になりかねない。思い浮かぶのは、釣り人とブラックバス排除運動の関係などだ。お互いのエゴの押し問答が、背後の政治力でシーソーするばかりで、時間だけが浪費されてゆく。こんなのはゴメンなので今回はさらりとつぶやくだけにしておこう。

焚火を愉しむためにはまず薪の用意から。

赤い川
▲焚火厳禁!の奥日光の森、赤い川(06.08.09撮)

 テントも燃料も持たず、荷にはその分、食料と酒を詰め込んで山に入る。燃料は現地調達の薪のみ、雨はシュラフカバーで凌いで焚火野宿を続け、食料が尽きれば山を下りるというやりかたで焚火を愉しんできた。三食分の火力を賄なうため、日中の大半を薪集めに費やすことになるのだが、その労に十分報いてくれるだけの魅力が焚火にはある。


 夕飯を済ませてから夜明けまで、酒をちびちびやりながら、焚火の面倒を見ているのが愉しくて仕方がない。火勢は薪の質や気候の変化によってどんどん変化するので、常に注意して迅速に対応しないと衰えてしまう。これはまさしく「世話」であり、生物の飼育やパソコンのシミュレーションゲームにも通じる愉しさと言える。いつも、まったく時間の経つのを忘れて焚火に没頭してしまう。


 時には大きく、また微少にと焚火を変化させてみるのも愉しい。繊細に火力をコントロールしようと思うと、投入すべき太さの枝が、常に手元になければならないので、あらかじめ焚火の脇に、大中小太細とタイプの違う枝を分類・整理して並べ置いている。そうして世話をしながら、ひと晩燃やし続けるためには、かなりの量の薪の用意がいる。夜のその愉しみを得るために、明るい間は雑木林に入りびたり、大汗をかきかきゴソゴソやるわけだが、いくらかは山の手入れにもなるだろうとひとり合点し、鈍ったカラダに鞭を打つ。



間伐の正しい知識を得ることで環境に配慮した野遊びができないか。

 もちろん山林には所有者がいるし、常識も知識も必要で、簡単な問題ではないけれど、お手軽にガスや木炭を買って行くばかりがキャンプではないことにも気付いてほしい。今の日本、自然の疲弊がさかんに報じられているが、河川から近海に至る棲息生物の減少は、戦後復興のための植林と、その後の林業の衰退が大きく影響し、間伐をやらなくなったことによる地味の変化が大きな原因だと聞く。


 間伐に従事する人手の不足が、林業のみならず日本の気候や災害、果ては海洋資源にまで影響を与えているとするのなら、行政等の対応次第では、微力ながら『アウトドア好き』てな人間も、多少は役に立てることがあるのではないか。往時、ログハウスやキャンピングカーなどに情熱を注いでいた「ブームの権化」団塊世代の皆さんが、「中高年の山歩き」などに甘んじず、軒並み森の間伐に繰りだし、流行らせていただけば、大きな力になるかもしれない。


 近年わたしは、焚火のフィールドに出る機会がなく、当サイトの焚火野宿コーナーも休止状態のままなのだが、「美しい国」なんて、どなたかがぶったスローガンを苦々しく思いだしつつ、次の焚火酒に想いを馳せている。