突然、浅田美代子

実家近所の場末レコード屋で開催された、往年の浅田美代子サイン会の写真。ジョイントで開催されたはずの、遊園地ステージでの余興コンサートの生写真は、別サイト「浅田美代子と天地真理」に掲載してます。2006.12.14記

1973年10月ごろ、浅田美代子サイン会にて激写しますた。

浅田美代子1
▲しかし、三つ揃い着てサインするアイドルて…胸元とか見えんやん!時代やのお

 次の「鉄」コーナーを作ろうと思って、古い蒸気機関車のネガポジをゴソゴソスキャニングしていたら、メモ書きも何も付いていないネガケースがひとつポロッと出てきた。「何の写真じゃい?」と、そのモノクロネガを電燈に透かして見たら、なんと実家近所の場末レコード屋で開催された、往年の浅田美代子サイン会の写真である。まあ、白血病や自殺で早逝したアイドルや、ポロリお宝写真とかならばともかくも、今だテレビや映画であいかわらずの恐るべき天然知能をあからさまにお披露目されているようなお方なので、全くどーってことないブツなのだけれど、せっかくなんでここに二三枚「蔵出し」しておく。

 実家の押入れにあるEPレコードの中に、浅田美代子の『わたしの宵待草』が三枚もあり、何でかな?と首を傾げていたんだが、どーやらこのサイン会に行った由縁であることが判明した。一枚買うと列に並べてサインと握手をして貰えるのではなかったか。そんであたしは三回並んだつうことらしい。当時シングル盤が500円に値上がった頃合いだから1500円も使ったことになる。熱心だなあ。しかしウチに同じサイン色紙が三枚もあったかなあ?憶えとらん。

浅田美代子2
▲MG5(整髪料)とか付けてるのかマネジャー

 そのうえ、フィルムはなんとコダック社の高感度フィルム「TRI-X」使用である。貧乏のくせにリキ入ってるなあ俺。でもって肝心の写真は、アガったのかアセったのかおおむね手ブレとピンボケである。マネジャーにピン来てるやんこれ。青いなあ俺。しかしミヨちゃんの横で色紙を整理しているマネジャーの服装がいかにも当時のギョーカイっぽくって笑える。ファンは間近にナマ肌見たいと思って行くつうに、三つ揃い着てサイン会に出るアイドルつうのも凄まじいというか、先を暗示していたというか。

なんとスリーピース装着(防護用?)のサイン会。ま、ひとつの時代が感じられる。

浅田美代子3
▲当時は十七、八の娘さんですわ。今から見ると髪のボリューム加減が野暮かなあ。

 さて、三つ揃いということは、夏じゃないですな。でもって『わたしの宵待草』の販促握手営業だとすると、発売が1973(昭48)年の10月1日。次の曲『恋は真珠いろ』が出るのが同年12月だから、どうやらその間に開催されたもののようだ。と、書いてて思いだしたぞ。ええと、確か同年、伏見桃山城の遊園地の余興の浅田美代子のショーに行ったのだ。そのとき撮影した写真を当欄過去ログの2003年2月5日の回、『わたしのアイドル・アイドル編の2 』に載せたはず……あった。見ると1973(昭48)年10月7日となっとるなあ。写真をみても宵待草らしきものを持って唄っているから、サイン会もたぶん同日か翌日あたりの開催か。でもステージの写真とはフィルムの種類が違うし…結局サイン会の日時はよくわからん。でもま、この過去ログを読んでいただければ、あたしの当時の対浅田スタンスが分かろうと思う。

 ウィキペディアで浅田美代子を引いてみたら、略歴欄が結構面白い。「人気に実力が伴わない歌手の代名詞として時に音楽関係者から激しいバッシング」をうけたの、「当時NHKに歌手として出演するためには局のオーディションに合格する必要があったが、通常1〜2回で済むところ彼女は5回目でようやく合格」だの、「家事一般がまったく駄目だった事などから次第に亀裂が表面化し1983年に協議離婚が成立」やて。わはは、やっぱり浅田ファンで良かった!