ダイエットでも治療でもない、ややよこしまな理由で絶食・断食を敢行したぞ。

 ここふた月ほど、“ちょいと”ヒマな日が続いた(本当は“ちょいと”ではなく“ど〜しよ〜もなく”だったのだが)。シゴトをしていないということは、暮れあたりの生活費が入って来ないということなので、非常にウスラ寒い気分に襲われるのである、が、慣れとは恐ろしいもんで、「ま、なんとかなるであろう」と、窮したときの得意技、仮死状態に入った。とにかくも、営業なんてことがからきしできない輩なのであるからして、次のオシゴトをいただけるまで、アイドリング状態で、できるだけ燃費を抑えようとするのである。

 いや、以前はジタバタと営業をしたこともあるのだが、やたら酒食に出費が嵩むばかりで、一向にシゴトに繋がったためしがないので、もはやネガティブ戦術で行くことに決めたのだ。まず、一歩も外へ出ない。要するに街へ出ると、やれ本やら、文房具やら、お菓子やら、なんやらにちょこちょこと出費してしまう。このトータルが案外大きい。小腹が空くと、なんか喰いたくなるし、喉が渇けば、コーヒーでもつうことになる。スーパーなんぞへ迷い込んだ日には、思わず、好きな「紅生姜の天麩羅」などを買ってしまう。これは、いかん。

 さて、家に篭っていても、大いなる出費が待っている。それは煙草だ。あたしは愛煙家なので、無意識のうちにスパスパ吸ってしまうのだ。あたしが煙草を止めないのは、仕事のアイデア出しに不可欠なアイテムだからなので、ヒマで仕事がないときに高い煙草を消費するのはとても無駄なことなのである。また、好きな無糖のアイスコーヒー、こいつもすっかりカフェ中になってしまっており、ナシではやっていけない。しかし、睡眠状態に入ってしまえば、煙草もコーヒーも喫しなくても済むのであるから、とりあえず蒲団に入って固まってしまうのが、イチバンの「しまつの極意」だ。



断食の理由は、「とことん消費しない生活」の限界実験なのだった。

 ヒマな時、あたしは何時間でも眠れるようなカラダに変態する術を得ているので、その気になれば、一日あたり述べ20時間は眠ることができる。(もっともコレをやると、寝過ぎ頭痛に見舞われるのを覚悟せねばならないが)となると、食事もできるだけ摂らずに済ませれば、そのぶん食費も浮くではないか。いったい人間は寝たままで、どのあたりまで飲まず食わずで過ごせるのか。先月と今月、ちょうど嫁子がパートやら部活やらで忙しい週末があったので、「儂に一切構うな!」と言い、二日ずつ、通算4日間の飢餓実験を敢行した。一丁、アイドリングさえストップしてやろう、という試みである。

 秋の日本晴れの日、仕事場の遮光カーテンをぴったりと閉じ、蒲団を敷いて「冬眠体勢」に。二日間、48時間となると、さすがに40時間も眠るのはムリなので、枕元に文庫本(落語の全集)を積んでおき、目が覚めるとそれをちょっと読み、また眠る。九月に行なった一度目は、許される煙草1本、ウーロン茶1杯、食事はおはぎ2個、トイレは2回まで(48時間で)と自分を縛って実験に突入、難なく完遂した。十月の二度目は、煙草0本、ウーロン茶1杯、食事は吉野家豚丼並1杯(あらかじめ買っておいた)、トイレは2回まで(48時間)で、これも完遂。蒲団から一切動かず、エネルギーを遣わなければ、そうも腹は減らないしノドも渇かない。煙草コーヒーも、眠ってしまえばまあ忘れてしまう。トイレ以外は思ったよりラクだった。遭難や大災害のときの参考になるべ。

 しかしどちらの回も、終了翌日にはげっそりと頬がこけ、口内炎が発生し、足が萎えてフラフラで歩けない。眠り過ぎでアタマはガンガン痛む。なので、縛りを解除した翌日も蒲団から出られなかった。結局三日間だ(笑)。けど、金は一銭も使わずに済んだ!

 何をやってる、このオッサン。



飢餓実験

断食というのは、どちらかというと修行に近いニュアンスがある言葉で、まあ禁欲的な行為である。水はオーケー的ルールの場合が多い。で、絶食というのは医療用語的なところがあって、一定時間食料を摂らないことで体内のデータ収集や手術を行いやすくしたり、蓄積した栄養を使い切る状態にして治療したりする。2006.10.22記