続・三丁目 ぼやきレビュー

2005の12月、当欄に初回作の「ALWAYS 三丁目の夕日」の感想を書いた。読み返してみると「続編が観たい」と書いていた。そしたらこんど続編が出来たというではないか。京都に行って所用を済ませ、もう一件の用をと繁華街に行ったもののウッカリ日にちを間違えていて、ポッカリ時間が出来てしまった。したら映画館が続編の看板を掲げてロードショーを上映している。なもんでフトコロ淋しい折だがこれも縁かな、と観ることにした。2007.11.13記
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VFXの見せ場、日本橋や羽田や映画館や特急こだまなど、少々欲張りすぎたかな。

 われわれの世代が、この「筋」のモンを観ると、お泪ダラダラになるのはお約束なんで覚悟の上だ。前作だって泣きましたけんね。トシとともに涙腺ズルズル緩みは進む一方。テレビはスポーツ中継しか観ないのだけれど、それでもたとえば野球中継で重盗(ダブルスチール)なんかを見せられただけで泪が止まらなくなる始末。もうアカンのですわ。あらかじめ白旗を掲げて座席へ。もはや眼鏡が全然合ってないのだけれど買い替える余裕もなく後ろの席ではピンが合わん。スクリーン中央前から三列目に陣取る。首が凝るのは覚悟の上。しかし平日の午後のせいか、その回終映まで六列目あたりまで客はあたしひとりだけ。桟敷貸切みたいなもんで、どうぞなんぼでも泣いてください、という環境だった。


 しかしよくこういう感想を書く場合「ネタバレにご注意」なんて親切ぶって書いている輩が多いけれど、あれ意味あるのかね。なんでシロートが大映画屋の売上げに気を遣たらなあかんねん。読むほうも読むほうで、内容を知りたくないのなら調べずにサッサと映画館に行きな、つうの。ま、あたしの場合、普通に書こうとしてもいつも本筋を外して脱線だから、大事なことは何も書けんて。ご心配なく。


 で、感想はというと、初回作で気になったことは続編でも同じ。「セットや小道具の汚しすぎ」「役者がスケールオーバー(当時の人間はもっと小柄)」てなところ。新キャストに風吹ジュンを期待していたが出とらんかった。本作、もともと続編の予定は無かったそうなのに、ヒットで欲が出たみたいでんな。凝りまくったセットなども一から作り直したそうだけど、やっぱりこのコンセプトじゃ続編制作はムリがありまっせ。カントクもよく承知したなあ。やっぱギャラかな?


一作目の特撮インパクトはもはや無理でしょ連続テレビドラマ化で人情面を見たい。

 初回作は昭和33年というビミョーなレトロ感をCGで天然色再現するという、ドキュメンタリー的映像表現の世界創りが主体で、それにライブ感覚の人間ドラマが重なる、そのギリギリの所がうまくハマッて琴線に触れ、ヒットしたのだと思うが、続編となると初回に得られた映像インパクトはもはや慣れられてしまっているのでガクンと落ちてしまう。で、人間ドラマの脚本のほうに重きを置かざるを得ないのだが、そうすると別にVFXとかに凝らずとも連続テレビドラマの世界で十分なのである。となると昭和34年という設定がかえって仇になり中途半端だ。


 だって森繁の社長・駅前シリーズ上映は同時期だし(色は付いてないけど)、もう少し時がたてば、それこそ、連続テレビ小説や「時間ですよ」なんてホームドラマの名作が、その同時代に制作・放送されていて今もソフトで観られるのだから。銭湯のセット、松の湯の女湯にちゃんと猫八が入ってくるし。監督も脚本も演出もカメラも役者も科白も、「駅前」当時の鬼才連とガチンコで比較されると実力レベルが数段違いま。今の面子はふにゃふにゃの若衆連ですさかいねえ。


 そのドラマ部分ですが、VFXの見せ場を盛り込みたいあげく、日本橋や羽田や映画館や特急こだまや東京タワーなど、目一杯欲張ったもんだから、なんか取って付けたような話になって落ち着かなくなってしまっている。その場所を「見せたいがためにそこへ行かせる」という無理な脚本になっているのだ。ワザワザ羽田まで呼びださんでもいいしこだまで行って戻ってこんでもいいし日本橋で元カレと遭う必要もなかろうしスクーターの医者なんか今回の話しにはいらんやろと。エルモ映写機も下町にはちと無理筋やし。結果、VFXの新鮮味は落ち、ドラマの筋も散漫になって両方ペケでした。


 そりゃ初回作がヒットすりゃ、もっと儲けたいと思うのは当然だろが、映画のほうはそのまま「聖域」として封印しておき、セットやキャストをそのまま流用して、日テレがテレビドラマシリーズ化すべきだったと思う。毎回、日常生活と小物に寄った人間ドラマ中心で展開し、一回に一、二カ所ずつVFX特撮再現シーンをボーナス挿入して行きゃ良かったのに。ま、感想はひとそれぞれだと思うけどね。でも、ちゃんと泣かされて来ましたよ、特に熱血鈴木オートには。